スキップしてメイン コンテンツに移動

18 After World War II 下関事件(しものせきじけん)Shimonoseki incident

下関事件(しものせきじけん)

下関事件(しものせきじけん)とは、1949年(昭和24年)8月に山口県下関市で発生した騒乱事件。

事件の発端

大韓民国政府は1949年より、韓国外に居住する同胞を対象にした「在外国民登録」を開始した。

民団は、「この登録を怠る者は朝鮮人としての資格を喪失する。無国籍人になることを望む以外の者は登録せよ。」と宣伝したため、朝連側が憤慨し、小規模な衝突が続いていた。

8月15日には大規模な衝突が小野田市で発生し、それを発端として下関事件へと発展することになる。[1]

事件の概要

1949年8月19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。

集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。

朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。

そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。

下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。

国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。

県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。

翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。

最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された。[1]


コメント

このブログの人気の投稿

40 After World War II 大村収容所事件(おおむらしゅうようじょじけん)the Omura Detention House Incident

大村収容所事件(おおむらしゅうようじょじけん) 朝鮮戦争による朝鮮人密航者や、在日朝鮮人で犯罪を犯した者を送還するために収容する 法務省 入国管理庁の 長崎県 大村市 にある 入国者収容所 (現: 大村入国管理センター )で、 1952年 (昭和27年)11月に発生した事件。 1952年 5月12日 、法務省は朝鮮人410人を 韓国 の 釜山 に強制送還した。 On May 12, 1952, the Ministry of Justice deported 410 Koreans to Busan, South Korea. 韓国政府は125人については引き取りを拒否した。 The Korean government refused to take out 125 people. 日本に送り返した。 The Korean government sent them back to Japan. これらの逆送還者は大村収容所に収容された。 逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに 民戦 が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。 事件の概要[ 編集 ] 1952年 11月11日 午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や 大村市警察 の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した。 裁判[ 編集 ] 長崎地方裁判所 は 1953年 7月20日 、被告15人中6人を無罪、残りの9人にそれぞれ懲役1年 - 5か月の有罪判決を言い渡した。 その他[ 編集 ] 『大村収容所二十年史』(法務省大村入国者収容所,1970)によれば、1950年12月から1970年9月末までに大村収容所で起きた事件は、騒擾事件34件、ハンスト22件、逃走事件35件70名、暴行事件49件、その他、脱棟、放火未遂、退去強制令書破棄、自損行為27件(自殺既遂4件、同未遂16件、自損7件)、嬰児遺棄、告訴等42件となっている。

44 After World War II 万来町事件(ばんらいちょうじけん)Banrai Town Incident

万来町事件(ばんらいちょうじけん) 1952年 6月5日 に 山口県 宇部市 で発生した 暴動 事件。 A riot case that occurred in Ube City, Yamaguchi Prefecture on June 5, 1952. 当時、 宇部市 には約3100人の 在日韓国・朝鮮人 が居住した。 At that time, In Ube City, There were about 3,100 Koreans. 大半が 生活保護 受給者だった。 Almost they lived on welfare. 市当局は、彼らが「日中仕事をしない」ことから、「潜在収入がある」と判断しました。 City authorities have determined that they have "potential income" because they "They don't work during the day". 市当局は、生活保護費の増額を見送っていた。 The city authorities left the increase in welfare-payment over. 朝鮮人側はこれに激昂した。 1952年5月31日以降、連日、宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。 6月3日になると約400人に達した。 宇部市警察 は全職員を動員して対処した。 朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部 派出所 を襲撃した。 事件の概要 6月5日、宇部市万来町(現在の新町9丁目)において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に 宇部興産 の工場に乱入、 守衛 を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて 民団 の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。 警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は 投石 などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは 催涙ガス弾 も導入してようやく鎮圧した。

39 After World War II 上郡事件(かみこおりぐんじけん)Kamikoori County Case

上郡事件 1952年5月8日 4月10日に左翼系朝鮮人5名は、兵庫県赤穂郡船坂村で、別の朝鮮人3名に対して日本の学校に入学させていたことを理由に「スパイ」と難癖を付け、巻き割りで殴打した。 On April 10, five left-wing Koreans beat against three other Koreans with an ax in Funasaka-mura, Ako-gun, Hyogo Prefecture. Because the fact that the three entered the school in Japan was a "spy" and picked a fight with them. その事件の容疑で5月8日に国警赤穂地区警察署は、朝鮮人8名を検挙した。 その後、容疑者は神戸地検姫路支所に護送された。 その間朝鮮人の一団が赤穂地区警察署に押しかけた。 容疑者の奪還を図ろうと南へ約50m離れた小谷薬局前で警察と乱闘になった。 容疑者の身柄は無事護送された。