スキップしてメイン コンテンツに移動

21 After World War II 長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)Nagata Ward office attack

長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)

長田区役所襲撃事件(ながたくやくしょしゅうげきじけん)とは、1950年(昭和25年)11月20日から11月27日にかけて、兵庫県神戸市長田区で発生した在日朝鮮人による公安事件。

第一神戸事件阪神教育事件)に続く、神戸で起きた第二の騒乱事件という意味から第二神戸事件ともいう。

事件の発端

1949年から始まったドッジ・ラインにより、デフレーションが進行し失業や倒産が相次いだ。在日朝鮮人も例外でなく、失業者が激増した。こうした状況の下で、朝鮮人は「朝鮮人生活擁護闘争」を展開、地方税の減免や生活保護の適用を求めるために、各地の役所に押しかけるようになった。

事件の概要

1950年11月20日午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。
要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。

しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。

11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。

区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。

11月27日朝、長田区にある西神戸朝鮮人学校に千数百人の朝鮮人が集結、神戸市警察は全警察官を総動員して対処した。

朝鮮人は投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。

遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。

その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された。


コメント

このブログの人気の投稿

11 After World War II 阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)The Hanshin Education Incident

阪神教育事件 (はんしんきょういくじけん) The Hanshin Education Incident GHQの指令を受けた日本政府が「朝鮮人学校閉鎖令」を発令した。 The Japanese government, which has received the GHQ directive, has issued a "Korean School Closure Order". 日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した 在日韓国・朝鮮人と日本共産党による暴動 あるいはテロ事件。 In response to trying to close Korean schools all over Japan, Koreans in Japan and the Japanese Communist Party occurred a riot or terrorism in Osaka and Hyogo prefectures from April 14 to April 26 in 1948.   民族教育闘争という見方もある。 There is also a view of ethnic education struggle. 日本国憲法下で唯一の非常事態宣言が布告された。 Only one declaration of a state of emergency was declared under the Constitution of Japan. 朝鮮人学校事件、大阪での事件は大阪朝鮮人騒擾事件、また神戸での騒乱事件は神戸朝鮮人学校事件とも呼ばれる The Korean school case and the Osaka case are also referred to as the Osaka Korean affair case, and the Kobe case for a disturbance case is also called a Kobe Korean school case. この事件の呼称は以下のように様々なものがある。 There are various designations of this case a...

table of contents

After the Great Kanto earthquake    Oani village Incident Ikuta Police station Attack Incident Naoetsu Station Lynch murder Incident Tomisaka police station raid Incident Nagasaki police station raid Incident In front of the Toyama station police box attack Incident Sakamachi Incident Niigata Nippo company raid Incident Prime Minister's Office Demonstration Incident Obanazawa faction raid attack Incident The Hanshin Education Incident Hyojogawara Incident Ube Incident Masuda Incident Edagawa Incident Takada Dubrok Incident Hongou Incident Shimonoseki incident Taitou Hall Incident Turajima Town Incident Nagata Ward office attack Incident Yokkaichi Incident Ouji Korean School Incident Kanagawa Incident Hino Incident Shimozato village office group threat Incident Fukuoka Incident Higashinari police station tear gas throwing Incident Handa Ichinomiya Incident Attack on a munitions manufacturing plant Incident Kizukurichiku police station attack...

5 After World War II 長崎警察署襲撃事件(ながさきけいさつしょしゅうげきじけん)Nagasaki police station raid case

長崎警察署襲撃事件(ながさきけいさつしょしゅうげきじけん) 1946年 (昭和21年) 5月13日 に 長崎県長崎市 で発生した、 在日朝鮮人 ・中国人による 警察署 襲撃事件。 Police raid case by Koreans and Chinese in Japan that occurred in Nagasaki City, Nagasaki Prefecture on May 13, 1946. 長崎市西浜町の長崎自由市場では、 物価統制令 違反のヤミ物資が公然と販売された。 In the Nagasaki Free Market in Nishihama-Cho, Nagasaki City, there was a black-market good that violates the Price Control Ordinance. それに並行して暴力行為も頻発していた。 At the same time, violent acts were also frequent. 長崎県警察部 では、これら不法事案の断固取締を決断し、検挙の準備を進めていた。 The Nagasaki Prefectural Police Department has decided to control these incidents and has been preparing for an arrest. 1946年5月13日午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始した。 At 10:30 am on May 13, 1946, 280 police forces began to control all at once. 日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、 長崎警察署 に連行した。 They arrested 150 Japanese, 26 Korean and 6 Chinese, and took them to the Nagasaki Police Station. その直後、 在日本朝鮮人連盟 や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。 Soon after, the Korean Federation of Japanes...