王子朝鮮人学校事件(おうじちょうせんじんがっこうじけん)
王子朝鮮人学校事件(おうじちょうせんじんがっこうじけん)とは、1951年(昭和26年)3月7日に東京都北区で発生した事件である。
事件の発端
王子朝鮮人学校事件(おうじちょうせんじんがっこうじけん)とは、1951年(昭和26年)3月7日に東京都北区で発生した事件である。
事件の発端
そして3月7日に「真相発表大会」と称する集会を学校内で開催、抗議デモを行うことになった。
事件の概要
1951年3月7日当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。
集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。
しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。
警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。
群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。
警察はこの事件で28人が重軽傷を負った。
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